山田裕貴の野球チームでのポジションはどこ?野球部に入らなかった理由とは?

俳優の山田裕貴は、『名古屋北シニア』という野球チームに所属し、ポジションはピッチャーとして活躍していましたが、なぜか高校では野球部に入らず、少年野球で野球人生に幕を下ろしています。

実は山田裕貴が野球を続けなかったのには、元プロ野球選手の父親、山田和利さんの影響があるようなのです。

この記事では、山田裕貴の所属した野球チームやポジション、野球部に入らなかった理由を紹介します。

目次

山田裕貴が所属していた野球チームは『名古屋北シニア』

俳優の山田裕貴は、1990年9月18日生まれで現在29歳です。

高校を卒業後に芝居を勉強するためにワタナベエンターテインメントカレッジに入っており、俳優集団のD2やD-BOYSのメンバーでもあります。

2010年に開催された『D☆DATE新メンバーオーディション』のファイナリストまでいきましたが、D☆DATE新メンバーには選出されませんでした。

しかし、事前投票で1位だったことから、ファイナル開催時設けられたD-BOYS部門のグランプリとなり、D-BOYSに加入しました。

2010年12月にはD2に加入し、2011年のテレビドラマ『海賊戦隊ゴーカイジャー』で俳優デビューしています。

また、2012年6月には『D×TOWN』『ボクらが恋愛できない理由』で初主演を果たしています。

その後も2013年7月にソロ写真集を出版したり、2014年には「ライヴ」で映画初主演を務めました。

そんな今を時めく山田裕貴ですが、父親が元プロ野球選手の山田和利だということは知らない人も多いのではないでしょうか。

山田裕貴自身も実は中学時代まで野球をやっていました。

小学校時代はリトルリーグで野球をし、中学時代はシニアリーグで活躍しました。

リトルリーグ時代の野球チームは分かっていないのですが、中学時代は『名古屋北シニア』という野球チームに所属していたことが分かっています。

山田裕貴が所属した『名古屋北シニア』は、全国大会にも出場している名門野球チームで、中日ドラゴンズの堂上直倫選手がOBにいます。

父親の山田和利さんがプロ野球選手という影響もあり、山田裕貴も本気でプロ野球選手を目指していました。

山田裕貴の野球チームでのポジションはピッチャー

『名古屋北シニア』という野球チームで、プロ野球選手を目指して頑張っていた山田裕貴ですが、当時ポジションはピッチャーをしていました。

野球でピッチャーといえばエースですからね。

プロ野球選手を目指していたと本人も語っていますし、父親の山田和利さんからの期待も非常に大きいものがあったと思います。

そして、そんな父親との関係が、山田裕貴の野球人生に挫折を招くのです。

山田裕貴はプロ野球選手の息子という重圧で野球部への入部を断念

小さい頃は、父親の姿をテレビで見て、カッコいいと思っていたそうです。

小さい頃から野球をやっていて、しかも父親がプロ野球選手だったのですから山田裕貴もそれなりに素質があったことは確かでしょう。

しかし、中学のときに野球をやめています。

野球選手としての素質を持ちながら、どうしてやめてしまったのでしょうか?

山田裕貴は、父親に勝つために野球をやっていたといいます。

そのことに気が付いた時にこのまま野球を続ける意味があるのかと思ったそうです。

父への思いから自分も野球を始めましたし。ただ、ずっと野球をやっているうちに「これは、自分のために野球をやっているんじゃなくて、父に勝つためだけに野球をやっているじゃないか」という思いがどんどん出てきてしまって。そして、野球は中学までで辞めたんです。

過去のインタビュー動画でも、プロ野球選手の息子で野球をやる大変さや、偉大な父親ゆえの苦しみなどを語っています。

また、他のインタビューでは父親とテレビや映画を一緒に見ているときに、テレビに出る回数なら父親を超えることができるのではと感じたことが、役者を目指したきっかけと語っており、野球だけでなく俳優を目指すきっかけまでもが父を超えれるかどうかで決めたということで、そうとう山田裕貴の中で、父親、山田和利の存在が大きかったのではと思います。

「父親や家族との思い出と言えば、テレビや映画を一緒に見ることでした。そこで『じゃあ、俺はここに出る人になろう』って思ったのがはじまり。そのときは、テレビに出る回数なら親父を越えられるんじゃないかって根拠のない自信を持っていたんです。僕の役者人生はそこから。この道を目指したいちばん大きなきっかけですね」

山田裕貴が高校3年生の頃に通っていた高校が甲子園に出場し、応援に行ったのですが、野球を続けていたら甲子園に行けたかもしれないと思うと、くやしくて涙があふれてきたそうです。

その時に、父親の山田和利からはこう言われたそうです。

『俺は野球をやれとは言ってない。自分でやるって言ったことをなんでやめたんだ? だから悔しいんだぞ』

その父親の言葉から、次にやることは死ぬまで続けようと決めたといいますから、よほど父親の言葉がこたえたのでしょう。

山田裕貴と父親の現在の関係とは

山田裕貴は、自身が通っていた高校が甲子園に出場したことで、自分も野球を辞めていなければ甲子園に行けていたのではないかと思い、野球をやめたことへの思いがずっと引っかかっていたと紹介しましたが、それをリベンジする機会に巡り合います。

それは、山田裕貴が2018年8月10日にナゴヤドームで行われた中日ドラゴンズと東京ヤクルトスワローズ戦の始球式に父親の背番号だった30番を背負って登板したことです。

この始球式で、山田裕貴はかつての野球選手への夢を思い出して涙していました。

今では俳優として十分に活躍している山田裕貴ですが、父親の背番号だった30番をつけたユニホームを着て始球式をしたことで、それまでの思いがこみ上げてきたのでしょう。

始球式直前のインタビューでは、気合が入った感じで「13年のブランクもあって、昨日は久しぶりに練習をして100球以上投げ込んでしまって、肩がはっている」と苦笑いしていました。

その甲斐あってか、本番ではノーバウンドでど真ん中のストレートを披露していました。始球式直後のインタビューでは、「野球をあきらめて俳優を目指してからの夢が始球式にでることでした。今日は父が優勝した時につけていた30番のユニホームを着させていただいて、父親の背中を追いかけていた頃を思いだしました」と語りながら涙が溢れていました。

また、この始球式には母親や妹、そして野球をやっていた頃のチームメイトも駆けつけてくれたそうです。

今日は父が優勝した時に付けていた『30番』のユニフォームを着させていただいて、母も妹も、そして野球をやっていたころのチームメイトも見に来てくれました。親父の背中を追いかけていた頃を思い出しました」と語りつつ、思いがけず、涙が溢れることに。

その父親は現在、プロ野球のコーチをしていて、東京遠征の際には親子で杯をかわすこともあるといいます。

山田コーチが東京遠征の際には、都合が合えば親子で杯を交わすこともあるという。

2人は良い親子関係を築いているようで、俳優として活躍している山田裕貴は、父親にとっても自慢の息子なのではないでしょうか。

山田裕貴は父親だけでなく妹とも仲が良い

ここまで、山田裕貴と元プロ野球選手である父親の山田和利さんとの関係をご紹介してきましたが、実は、SNSなどを見ていると、妹とも非常に仲が良い様子が伺えるんです。

妹は絵を書くのが好きなようで、インスタグラムでは妹の書いた絵を紹介しています。

また、モデルの鈴木貴之とのツイッター上でのやり取りにも妹が登場してきており、日常的に交流が活発なのが分かります。

2016年7月17日に公開された映画『ふきげんな過去』で、公開トークショーを行いましたが、その時に映画通ぶっている妹から、今まで見た映画で一番面白かったと言われて嬉しいと感想を述べており、当時、妹は芸能界に詳しいのか?とネットニュースにも取り上げられたほどです。

「23歳の妹が見に行ってくれて、今まで見た映画の中で一番面白かったって言ってた。こんなの初めて。映画通ぶっているのでうれしかった」

山田裕貴は父親とも妹とも関係が良好で、家族皆で俳優の仕事を応援してくれているそうなので、非常に理想的な家族関係のようです。

https://www.uwasa-suki.com/13589/

まとめ

  • 父親はプロ野球選手の山田和利
  • 偉大な父の壁にぶつかり野球をやめた
  • 俳優では負けないと必死で頑張っている
  • 父親とも妹とも非常に仲が良い
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