【画像】滝藤賢一と嫁の出会いは無名塾!最初は体目当て?


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ドラマ『半沢直樹』で注目を浴び、2019年放送の『麒麟がくる』にも出演が決まっているベテラン実力派俳優、滝藤賢一ですが、嫁との出会いは滝藤賢一が初めて所属した
『無名塾』と言われています。

テレビ番組では当時の嫁さんに対してカラダ目当てを匂わせるような発言をしたこともありましたが、交際当初から結婚前提で付き合うなど、かなり真面目な交際を続けていたことでも知られています。

今回は、滝藤賢一と嫁が無名塾で出会った当時のことをご紹介します。

目次

滝藤賢一と嫁が出会った無名塾とは

俳優の滝藤賢一は1998年から2007年まで『無名塾』に所属していましたが、その『無名塾』とは俳優の仲代達矢と宮﨑恭子の自宅にあったプライベートの小さな稽古場から始まりました。

この『無名塾』には、仲代夫妻を慕う役者や演劇を志す若者たちが集まるようになり、彼らに仲代や宮﨑が稽古をつけるようになって自然にできたものだそうですが、その後、1977年に『無名塾』は一般公募を開始し、熟成の育成や脚本・演出を手掛ける形でスタートしました。

【以下引用】
無名塾の原点は、仲代達矢と宮崎恭子の自宅にあったプライベートの小さな稽古場です。1975年、多忙な仲代が不在の稽古場に、夫妻を慕う役者の卵や演劇を志す若者たちが芝居談義に集うようになり、そんな彼らに宮崎が少しずつ稽古をつけ、仲代も時折顔を覗かせ、無名塾は自然発生的に始まりました。
【引用元:無名塾 Official Website

滝藤賢一は、2019年1月11日に放送されたTBS系の『ぴったんこカン・かんスペシャル』に出演して無名塾や奥さんとの出会いを語っていました。

滝藤賢一は無名塾を卒業したあと、入れ替わりで入ってきた後輩の女性と結婚したのですが、滝藤賢一は当時を思い出しながら、嫁との出会いについて、凄くいい体してて、ずっとそういう目で見ていたと、嫁さんと交際を始めたきっかけが、まさかの体目当てだったことを明かしています。

【以下引用】
「家賃目当てじゃないの」「本当に好きだったのか」、聞かれた滝藤は、「ちゃんと(好きだった)。劇団に入ってきた時から『いいカラダしてんな』と思って…」とカラダ目当てだと口を滑らす。

飄々と赤裸々に過去を語る滝藤に、上田も「俳優さんに初めて言いますけど、このクズ!」と思わずツッコんだ。
【引用元:趣味女子を応援するメディア「めるも」】

無名塾は、バイトと恋愛は禁止というルールがあったそうで、滝藤賢一は3年間は芝居に打ち込むために、高校時代から付き合っていた彼女と別れて入ったそうです。

そして、今の奥さんと交際を始めたのは無名塾を卒業したあとだと弁解していましたが、結婚を前提とした真面目な交際だったといいます。

【以下引用】
「無名塾」にはバイトと恋愛は禁止というルールがあった。「仲代さんが3年間は芝居に打ち込めということで」と滝藤。そのため「だから、高校のころからつき合っていた彼女と別れて入りました」という。
【引用元:スポーツ報知

滝藤賢一は愛妻家で子煩悩

俳優の滝藤賢一は9歳、7歳、6歳の男の子と4歳の女の子の合計4人の子供、そして奥さんと6人家族です。

さすがにちゃんと顔出しをしている画像は無いですが、目隠し付きであれば家族全員の画像があります。

現在6人家族ですが、2LDKという広くはない間取りで生活しているそうです。

滝藤賢一は、芸能人にしてはあまり裕福な生活をしたくないといい、暗くなるまで公園で遊び、リビングで勉強をし、そして寝るときは、布団を4枚敷いて6人で重なるようにして寝ているらしく、そんな生活がとても大事だと思っていてずっと続けていきたいと語っています。

【以下引用】
小3男児(9つ)、小2男児(7つ)、幼稚園年長男児(6つ)、年少女児(4つ)の4人の子どもと妻(38)。2LDKの部屋で暮らしています。芸能人っぽくないでしょ。僕は特別に裕福な暮らしをさせたいわけでもないんです。真っ暗になるまで公園で遊び、リビングで勉強。布団を4枚敷いて6人で重なるように寝ています。こういう生活がとても大事だと思っているので、できるだけ続けたい。
【引用元:東京新聞

滝藤賢一は仕事が終わるとまっすぐに帰宅し、子供をお風呂に入れ、そして家族と共に食事をし、寝る準備ができてからレンタルした映画を見るそうです。

子供は今しかかまってくれないから、なるべく早く帰ってきて家族との時間を大事にしたい語り、滝藤賢一が非常に子煩悩な良き父であることが伺えます。

【以下引用】
なるべく早く帰って家族との時間を大切にしたい。家族と仕事以外に興味がないということもありますが。
【引用元:東京新聞

子供へのしつけは厳しく、ママが一生懸命作ったものを「これいらない」なんて言った時には、あえてめちゃめちゃ怒るようにしているらしく、 滝藤賢一なりの子育て論も感じさせます。

また、反抗期もあるので叱り方は難しいが、試行錯誤しながら言い続けなければならないと思っているそうで、子育てそのものを滝藤賢一は勉強だと語っています。

【以下引用】
「めっちゃ怒ります。普通の父親以上に怒ると思います。ママが怒りすぎると、そういうママを見たくないじゃないですか、子供も僕も。だから代わりにウワーッていく時ありますね」
【引用元:芸能ニュースならザテレビジョン

父親らしいことはできなくても、思い出が何もないと言われるのが辛いから、3人の息子が通っているキックボクシングのキッズクラブに参加して一緒にやっているそうで、できるだけ同じ時間を過ごしたいと語っています。

また、子供第一と思いがちですが、しっかり嫁さんへの愛情も持ち続けていて、子どもたちにもママの味方であるとしっかり言っているそうです。

【以下引用】
「パパは何があってもママの味方」と言っています。子どもたちはいずれ自分の家庭を持ちますから。無事、子どもが巣立ったら妻と2人でいろんな所へ海外旅行するのが夢。今、そのために2人で英会話を習い始めました。
【引用元:東京新聞

嫁さんとの旅行のために英会話を習うとか、なんか素敵な旦那さんって感じですよね。

滝藤賢一の実家は金持ち?

滝藤賢一は、2018年5月7日に放送された『しゃべくり007』に出演したとき、長かった下積み生活のことを語りました。

滝藤賢一は『クライマーズ・ハイ』や『半沢直樹』でブレイクしましたが、それまでの下積み生活が長く、30歳すぎまで実家から仕送りをしてもらっていたことを告白しています。

滝藤賢一は、仕送りをしてもらいながらバイトをしていたそうですが、小劇場に年間4本も5本も出ていたからバイトをする時間がなかったといいます。

仕送り額は、なくなったら入っていたそうで、5万円くらいだったそうです。

【以下引用】
「小劇場に年間に4本も5本も出てたから、バイトする時間ないんです」と事情を説明する。かつ、仕送りの額を尋ねると「無くなったら入ってました。5万ぐらい」という漠然とした内容にスタジオ騒然。
【引用元:日本テレビ

そんな仕送りをし続けることができるということは滝藤賢一の実家は金持ちだったのでしょうか。

実はそんなことはなくて、滝藤賢一の実家はボタンやファスナーを服に取り付ける自営業で、朝から晩まで仕事をしているような家庭だったそうです。

【以下引用】
実家はボタンやファスナーを服などに取り付ける自営業でした。自宅の一室で、朝から晩まで作業。
【引用元:朝日新聞デジタル】

学生時代の滝藤賢一は反抗期だったため、「こんな仕事やらねえ」と言ったこともあるそうです。

しかし、父親は滝藤賢一がやることに反対はせず、19歳で名古屋から上京した時も、借金までして映画の専門学校に行かせてくれたそうです。

滝藤賢一の実家は金持ちだったわけではなく、息子を応援してくれるとても優しい家庭だったわけですね。

そんな滝藤賢一も今では俳優で成功を収め、洋服を爆買いできるほどにまでなりました。

番組内では、行きつけのセレクトショップで15万円も使ったことを明かしています。

【以下引用】
私服にこだわり「おしゃれ俳優」でもある滝藤は、行きつけのセレクトショップで2万円以上のジャケット、パンツ、ミュールなど合計15万円分を爆買い。妻からは「洋服用の部屋を借りてくれ」と言われていることを明かした。
【引用元:Smart FLASH

さらに、滝藤賢一は、観葉植物にも凝っていて、100種類以上育てていて12万円のグラキリスとい植物が好きだといいますが、これについても妻からは多すぎるとクレームが出ているそうです。

そして、4人の子供たちのために、3階建の一軒家を探していますが、現在では「5000万円ならキャッシュで買います」とリッチな生活ぶりを明かしています。

まとめ

  • 滝藤賢一と嫁は無名塾で出会った
  • 最初は嫁の体目的だった
  • 滝藤賢一は子煩悩で家庭的
  • 実家は金持ちではないか金銭的に援助し続けてくれていた
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