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2019年に最もブレイクした俳優と言っても過言ではない横浜流星ですが、度々テレビで空手の実力を披露してきましたが、実は世界大会で優勝するほどの実力の持ち主なのです。
空手にはいくつか流派が存在しますが、横浜流星の空手の流派はどこなのでしょうか。
また、世界一になるほどの実力の持ち主ですので、空手歴も長いのではと思いますが、一体いつから習っているのでしょうか。
今回は、横浜流星の世界大会で優勝するほどの実力を持つ、空手について、流派やいつから習っているのかなどを紹介します。
横浜流星の空手世界大会優勝動画が凄い!
ドラマや映画だけでなく、モデルとしてもミュージシャンとしても大活躍で才能を発揮した横浜流星(よこはま りゅうせい)ですが、その才能は芸能活動だけではありません。
様々な番組で披露されていますが、空手の世界でも超一流なんです。
今年、24才になる横浜流星は、中学3年生の時には、『2011年第7回国際青少年空手道選手権大会』の13・14才男子55kg部門で優勝し、高校1年生の時にも大会3位の成績をあげていたのです。
【以下引用】
横浜は、中学3年生の時に「2011第7回国際青少年空手道選手権大会」の13・14才男子55kgの部で優勝し、その後も高校1年の時には国際大会で3位に入賞するなど、成果を挙げている。
【引用元:NEWSポストセブン】
横浜流星が元空手世界チャンピオンって今初めて知った。
日本にこの男に勝てる奴おらんやん。
この人には西野七瀬取られても悔しくないわ。 pic.twitter.com/sHZLXTMHex— じゃむ®︎@センター後一般までログアウト予定 (@Jum516) July 21, 2019
残念ながら世界大会で優勝した際の動画は流出していませんが、別の大会での映像はテレビで放送されたことがりますので、その時に動画を紹介します。
瓦割をする映像もあります。
その経歴から、番組とかで瓦割りとか板割りとかバット折りとかやってるけど、やる前までニコニコほんわかしてるのに、割る瞬間に思いっきり雄になる感じが好きすぎてアホほどリピってる♡w
負けず嫌いで最後全部割って終わらせるかんじも好きw
「試合に出るみたい」の声が‥♡最高♡#横浜流星 pic.twitter.com/8ykusyhjVt— ᴾⁱᴺᴷ (@mutekipinkdotjp) April 19, 2019
横浜流星は横浜市で生まれましたが、幼少期は埼玉県で過ごしました。
そして、通っていた道場は、埼玉県から江戸川を渡ったすぐにある松伏町の道場『極真会館下総支部松伏道場』に通っていました。
そのため、松伏町の広報誌『広報まつぶし』には、今でも横浜流星が掲載されていたことが確認できます。
Photo by 広報まつぶし
Photo by 広報まつぶし
空手の稽古はかなり厳しいもので、時には道場の先生のローキックをひたすら耐える稽古もあり、失神したこともあったと本人は語っています。
さすが、中学生で黒帯になった横浜流星は、相当な努力をしていたわけですね。
横浜流星が2017年公開の映画『キセキ ーあの日のソビトー』で共演した菅田将暉とラジオ番組に出演した際には、菅田将暉が横浜流星の空手のパンチを受けてみたいとリクエストしました。
実際に横浜流星が菅田将暉の持つミットめがけてパンチをくりだしたところ、かなり強烈だったようで一瞬で横浜流星の実力知ったと語る菅田将暉。
いくつかの番組でもその時の経験を語っているようですね。
【以下引用】
菅田将暉は、以前ラジオで、「流星、お前極真空手やってたらしいやん。ちょっと打ってみいや」とミットなどを持っていき横浜に指示したところ、「流星やった瞬間、1発でドーン!って」「ホンマすごくて」と強力なパンチを受けたと明かし、「遊びでやるやつちゃう…俺の手が持たへん」などと感じたことを笑い混じりに語っていたことがあった。
【引用元:E-TALENTBANK co.,ltd.】
横浜流星の空手の流派はどこなのか
それでは、いったい横浜流星はどこの空手の流派で稽古していたのでしょうか?
空手には いくつかの流派があり、流派によって型(かた)や練習方法や試合のルールが異なります。
いくつもある流派の中でも代表的な流派をご紹介すると、4つの四大流派というものが存在します。
【以下引用】
松濤館流(しょうとうかんりゅう):開祖、船越義珍(ふなこし ぎちん)
剛柔流(ごうじゅうりゅう):開祖、宮城長順(みやぎ ちょうじゅん)
糸東流(しとうりゅう):開祖、摩文仁賢和(まぶに けんわ)
和道流(わどうりゅう): 開祖、大塚博紀(おおつか ひろのり)
【引用元:伝統派空手 – Wikipedia】
これらの流派は伝統派空手と呼ばれる、寸止めルールが主体の空手に当たります。
空手は2020オリンピックで初の参加競技になりましたが、これは伝統派空手と呼ばれるものが競技に選ばれました。
過去に代表候補の植草選手について記事にした際にも解説しています。

一方、横浜流星が習っていたのは、これら伝統派空手から派生して生まれた極真空手を習っていました。
極真空手は伝統派空手とは違い、相手を倒すことを目的にフルコンタクト(実際に打撃を当てる)形で戦う実戦派の空手です。
極真空手の開祖は、大山倍達(おおやま ますたつ)で、大山倍達をモデルにした漫画『空手バカ一代』は講談社の『週刊マガジン』に1971年から1977年まで掲載され、アニメとしてもテレビで放送され人気を博しました。
1943年頃から、松濤館流の開祖である船越義珍に師事して空手と出会い、その後松濤館流と剛柔流を主に学びました
【以下引用】
1943年(昭和18年)6月に空手道を松濤館流の船越義珍に師事、その後松濤館流と剛柔流を主に学ぶ。
【引用元:大山倍達 – Wikipedia】
その後渡米し、プロレスラーと対戦したり、帰国後にはボクシング、柔道、合気柔術、ステッキ術など様々な格闘技を学び、より強い空手を目標に伝統派空手から独立し、『国際空手道連盟極真会館』を設立します。
松濤館流や剛柔流などの伝統技術に基づいて稽古や試合を行う伝統派空手には、それぞれの流派という概念がありますが、極真空手は大山倍達が新たに作った空手ですので、ある意味、極真空手そのものが巨大な流派であると言えるでしょう。
つまり、横浜流星の空手の流派は極真空手であるという答えで間違いはないと思います。
横浜流星は空手をいつからやっているのか
横浜流星が極真空手を始めたのは、小学校1年生からでした。
何才くらいからそのように思ったかは不明ですが、K-1選手になることを目指していたと本人が語っていますから、最初から本格的に戦う極真空手をやることを決めていたのかもしれませんね。
テレビの番組でも、横浜流星が小学校1年生から空手を始めて、世界一になったことが紹介されると、他の出演者から空手を始めた理由を聞かれたこともありますが、当時は空手の型が凄くかっこよくて魅力的だったと語っています。
【以下引用】
「どこがいちばん魅力だったんですか?極真空手の」という質問には「その頃は型をメインにやってたので、その型がすごくかっこよくて、自分もやりたいっていう風に思って、それで両親にやりたいって言って」と極真空手の魅力を語った。
【引用元:E-TALENTBANK co.,ltd.】
空手を通して、続けることの大切さを学べたとも語っており、空手を始めた最初の頃は、同じ道場の仲間にボコボコにされて負けが続いたこともあったそうですが、それでもあきらめずに続け、最終的には世界大会優勝という凄い成績を収めるまでになりました。
【以下引用】
僕も空手をやっていたときは、道場の仲間にボコボコにされて、ずっと負け続けていた時期があったんです。それでもあきらめなかったから、大会で優勝できた。だからこそ、続けることに意味があると思う。
【引用元:ライブドアニュース】
そういえば、昨年2019年5月には、横浜流星主演で実在する早稲田大学の男子チアリーディングチーム「SHOCKERS」(ショッカーズ)をモデルにした映画『チア男子!!』が公開されました。
横浜流星は、出演が決まってから、チアの練習を毎週2~3回ほど、1回あたり3時間にわたって練習を繰り返したそうですから、こんなところにも、空手を通して学んだ辛抱と体力が生きているのかもしれません。
横浜流星の空手に対しての想いと情熱には特別なものがあり、中学校時代には芸能活動よりも極真空手の方を優先させていて、事務所に所属した後もあまりレッスンには行っていなかったとも言われています。
横浜流星は、今でも空手を辞める気はないと宣言していますから、純粋に空手自体が好きなのでしょうね。
まとめ
- バット折ったり瓦割ったり空手の動画が凄い
- 横浜流星の流派は極真空手
- K-1選手を目指して小学一年生から空手を始めた
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