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霜降り明星のせいやは高校時代の壮絶ないじめを乗り越え、笑いが助けてくれることを実感したせいやはその後本気でお笑い芸人を目指し、結果的現在のブレイクに繋がっていますので、まさに、いじめを乗り越えて手に入れた芸と言えるでしょう。
小学校・中学校と人気者として歩み、高校時代にいじめを経験し、芸人を志した近畿大学時代まで、今回は霜降り明星せいやの学生時代に迫ります。
霜降り明星のせいやが経験した高校時代のいじめとは
せいやの高校は大阪府立布施高校で、中学ではサッカー部でキャプテンを務めるほどの人気者だったため、高校時代もそのままサッカー部に所属をしていました
中学時代は面白い人として人気者だった影響で、そのノリのまま高校生活を始めてしまい、高校に入学した初日にギャグを披露したのですが、それが盛大にスベリ、そのままいじめの対象となってしまったのです。
そして、『せいやを懲らしめる会』というグループができるほどで、集団的にいじめにあっていましたが、それでも霜降り明星せいやは持ち前の明るさで皆を笑わそうとボケることを辞めませんでした。
【以下引用】
僕、高校時代最悪やったんですよ。中学生の頃から漫才でテレビに出たりしてすごい人気者になって、ちょっと調子に乗ってしまったんです。高校に入ると、“あいつを懲らしめる会”みたいなグループが出来て、いじめられ始めて。でも、そんな状況でも僕は明るかったんで、何とかみんなを笑かそうとしたんです。
【引用元:ウルトラ18 by ch FILES】
霜降り明星のせいやがM-1で優勝後、当時いじめをしていた人がインタビューに答えたことがあるのですが、その人が語った内容によると、当時は殴ったりするようなことも日常的にあったと言います。
【以下引用】
クラス、そして部活で、せいやさんはイジメを受けていたという。最初は軽いじゃれ合いが次第にエスカレートし、殴るなどの行為にまで及んだという。そういった日々の中で、「いじられキャラ」という立ち位置になっていったそうだ。
【引用元:【話題】まとめニュース】
だんだんいじめのレベルもエスカレートしていき、せいやはストレスで円形脱毛症になってしまい、母親からも転校するよう懇願されるほどでしたが、それでも笑いで跳ね返そうと学校へは行き続けました。
【以下引用】
やっぱりお笑いが好きやから。いじめをお笑いで跳ね返そう!って思って。でも、なかなかみんなを笑わすことができなくて、だんだん髪の毛も抜けていって…。ほんまに三浦マイルドさんくらいになってしまって。それでも学校へは行き続けたんです。オカンには「もう転校して」って懇願されましたけどね。
【引用元:ウルトラ18 by ch FILES】
霜降り明星のせいや自身はメディアに対してポジティブな言い回しで語ることが多いですが、前述した過去にいじめていた人物の話を聞く限りですと、かなり壮絶ないじめだったことが推察できます。
【引用元】
あるときサッカー部のメンバーの家に泊まり行くことがあって、せいやを含めて4人くらいで同じ部屋に泊まることになったんです。
もちろんその日もせいやはイジメをうけていて、それもかなりひどかったんですが、、、
次の日の朝おきると、せいやの毛がまた抜けていたんです。
それを見た、その家の子にせいやが、「汚いから全部ひろえ」と言われて1本ずつ拾っている姿を見て本当に悲しい気持ちなりました。
【引用元:【話題】まとめニュース】
しかし、最後の最後までお笑いでいじめを跳ね返そうと頑張り続けた結果、文化祭で多くの学生の前でコントを披露し、それが高く評価されて学校からも表彰を受けました。
本当に笑いの力でいじめを跳ね返すことに成功してしまったのです。
【以下引用】
文化祭の劇を作ることになった時、「お前ひとりで作れや」って“懲らしめる会”に言われたんです。「ここや!」って思って、自分で考えたコントをクラスで発表したんです。そしたらみんながワッて沸いて、「こいつ、こんなに面白い奴やったんや」って初めて認めてもらえたんです。文化祭でも表彰されて、その壇上で「いじめを跳ね返したぞ!!」って言ったら、学校中が「うぉおおおー!!!」ってなって映画みたいに盛り上がったんです。そこからイジメはなくなったんですよ。ほんま、“芸は身を助ける”やなって。お笑いってすごいと思いました。
【引用元:ウルトラ18 by ch FILES】
その後、せいやの高校時代に受けたいじめの話は、2018年1月28日放送されたフジテレビ『痛快TVスカッとジャパン』にて再現ドラマとして放送され、視聴者から感動したという声で溢れました。
しかし、そんな状況でもせいやはツイッター上で、いじめの美談を今いじめられている人に押し付けるつもりは無いと発言しており、『いじめは空気で複雑でなくならないので、跳ね返すものでも闘うものでもないので誤魔化して自分の好きなことだけやった方がいいということを経験から学びました』という言葉には、救われたという声が多く寄せられました。
スカッとジャパンでいじめのことを再現してもらってるんですが、テーマがテーマなので放送中言えなかった想いを綴ります。 pic.twitter.com/QQe9D0RVyd
— 霜降り明星 せいや (@seiyasimofuri) 2019年1月28日
霜降り明星のせいやが相方の粗品と出会ったのも高校時代で、当時はお互い全く面識が無かったのですが、それぞれ別々に高校生の漫才大会『ハイスクールマンザイ』に出場し、そこでお互い面白いやつがいると意識し合っていたことが出会いの始まりと語られています。
【以下引用】
せいやは「高校生なのにこいつはピン芸名まで決めていて、『俺、粗品っていうねん』『俺がやっている大喜利サイトに入ってくれへん?』と話し掛けてきた。(最初は)“気持ちわるっ”って思った」と笑いを交えて振り返った。
【引用元:エキサイトニュース】
霜降り明星のせいやは近畿大学時代教師を目指していた
壮絶な高校時代を送りましたが、卒業後は地元の有名な近畿大学に進学しています。
近畿大学では文芸学部文化学科に所属していて、1年生の時には観光事業研究会に所属し将来は教師になりたいと思っていました。
しかし、幼少期からお笑いが大好きだったせいやは、近畿大学在学中に芸人としての活動を本格的に開始し、それをキッカケに教師の夢は諦めています。
この時、芸人を目指し始めたのは粗品から誘われたことであると、後のインタビューで語っています。
【以下引用】
そうですね。教職課程も履修していました。結構、単位も取ってたんですけど、粗品からの熱いラブコールもあったので、結局教師の道を断念してお笑いに道を絞りました。
【引用元:Kindai Picks】
近畿大学在学中は大学に通いながら本格的なお笑い芸人としての活動を始めていたため、二足のわらじでかなり多忙を極めていました。
ネタも近代の図書館で作ったり、レポートの提出も謝りながら遅れて提出したり、学生生活にもかなり影響が出始めて、出席しないとまずい授業ですら仕事で潰れることもあり、母親とは何度も相談しながらお笑いと大学の二刀流を頑張っていました。
【以下引用】
めっちゃくちゃありましたよ。相方が中退してるので、自分だけ学生やってるのもなって。芸人って急に仕事が入るんですよ。明日、出ないと終わりですよって授業も平気で仕事で潰れるんです。ほんま何回も泣きましたよ。「これ、どうなんの……」って。留年も覚悟したけど、そうなったらなったで学費払うのも嫌やし、おかんと何度も相談して。かなりしんどい時期もありましたが、なんとかしのいでましたね。
【引用元:Kindai Picks】
相方の粗品は途中で大学を中退していますが、せいやは最後まで頑張り、きっちりと近畿大学を卒業しています。
お笑いのルーツは小学校~中学校の時代
霜降り明星のせいやは大阪府出身であり、子どもの頃からお笑い芸人を目指していました。
せいやの出身地の情報は過去に記事にしています。

Wikipediaによると、東大阪市立鴻池東小学校を卒業後、東大阪市立盾津中学校に進んだと記載があります。
【以下引用】
大阪府東大阪市出身。東大阪市立鴻池東小学校、東大阪市立盾津中学校、大阪府立布施高校、近畿大学卒業
【引用元:霜降り明星 – Wikipedia】
せいやは小学校時代にお笑いのルーツがあり、NHKの小学生を対象としたお笑い番組に当時の同級生と出演し、プロ顔負けの漫才を披露したことがありました。
まさしく、この小学生時代の漫才がせいやの笑いの原点と言っても過言ではないでしょう。
中学校時代にもアマチュアのお笑い番組に出演したことがあり、高校時代はハイスクールマンザイ、大学在学中は霜降り明星として活動していたことを考えると、小学生の時代からずっと漫才をし続けている大ベテランであることが分かると思います。
中学時代はその人気のままサッカー部のキャプテンを務めていたわけですから、高校に入学してそのノリのまま行ってしまうのも理解できます。
まとめ
- 霜降り明星のせいやは高校時代にいじめられていた
- 近畿大学在学中は霜降り明星として活動していた
- 小学校・中学校と漫才でテレビ出演していた
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