今回は、数々のドラマや映画にコンスタントに出演し、印象に残る確かな演技でドラマを引き締める美しすぎるアラフォー女優、中村ゆりです。
中村ゆりがどんな状況で韓国籍であることを公表したのかを調べてみました。
また、中村ゆりは結婚していて噂通りその旦那は林遣都なのか?
もし、結婚していないのであれば、なぜ結婚しないのかをお伝えします。
中村ゆりは在日韓国人と公表している
皆さん、2005年(今から16年前)に公開された映画「パッチギ!」ってご存知でしょうか?
井筒和幸監督がメガホンをとった話題作でヒロインを演じたのが沢尻エリカ。
日本の高校生と在日朝鮮人の少女とのラブストーリーでした。
公開後、井筒監督は続編を制作することを決め、同じメンバーを起用すると思いきや新しいメンバーで作り上げたのが、2007年公開の「パッチギ!LOVE&PEACE」でした。
この映画でヒロイン役のキョンジャを務めたのが中村ゆりでした。
下の写真は、この映画に出演したころの中村ゆりです。
中村ゆりの在日韓国人公表はパッチギがキッカケ
中村ゆりは、1982年3月15日生まれですから映画が公開された当時は25歳だったわけですね。
映画公開にあたって在日朝鮮人役を演じた中村ゆりは朝日新聞のインタビューに答えて、「実生活でも在日韓国人である」ことを語って話題になりました。
出身を隠すつもりはないけど、わざわざ在日であることを主張する必要もない
これが、中村ゆりの韓国籍に対するスタンスでした。
中村ゆりの父親は在日韓国人3世で、母親は韓国人なのです。
本名は成友理(ソン・ウリ)。
中村ゆりの家庭は父親に限らず、おじいさん、ひいおじいさんも日本で生活していたものの国籍は変えなかったということですね。
中村ゆりは大阪府寝屋川市で日本人と変わらない幼少期を過ごす
中村ゆりが生まれたのは、大阪の寝屋川市。
大阪の梅田から地下鉄に乗って京阪線に乗り換えてトータルで30分弱。
京都へ行くのにも京阪線で40分強で行ける20万人都市の寝屋川は便利で生活しやすい町として人気が高いです。
そんな寝屋川市で、中村ゆりは小学校も中学校も寝屋川市の公立校に通って育ったのです。
朝鮮人学校に通っていたわけではなく、生活でも日本語を話してきたわけですから、普通の日本人の学生と同じ生活をしてきたのです。
中村ゆりが結婚しないのは過去の不倫と隠し子騒動の影響?
誰から見ても美しく魅力的な中村ゆりがどうして、39歳になろうとする現在まで結婚しないのか不思議ですよね。
「実話ブラックザ・タブー」によると、中村ゆりが結婚しないのにはそれなりの理由があると伝えています。
中村ゆりが芸能界に入った理由はもともと俳優としてではなく、テレビ東京のオーディション番組「ASAYAN」に友人の伊澤真理と出演しミュージシャンとして合格したことがきっかけでした。
1996年、中村ゆりが14歳のときの話でユニット名は「YURIMARI」でした。
下は、「YURIMARI」二人の写真(左が中村、右が井澤)と「YURIMARI」のCDのジャケットです。
そして、中村ゆりの「YURIMARI」の面倒を見たのが「エイベックス」でした。
「YURIMARI」はデビュー後6枚のCDを出したもののヒットは出せず1999年に解散になりました。
しかし、その後の中村ゆりの生活や経済的な面倒を見ていたのは、当時、「エイベックス」のナンバー2であった千葉龍平副社長だったと伝えています。
他にも「エイベックス」と関わりのあった六本木のサパークラブのママも中村ゆりを可愛がり支えていたとブラックザ・タブーは伝えています。
2007年の「パッチギ!LOVE&PEACE」の中村ゆりのヒロイン役への抜擢もひょっとして千葉副社長が関わっていたのではと疑ってしまいますよね。
映画が公開された後も中村ゆりと千葉副社長の不倫関係は続き、2011年に中村ゆりは妊娠、出産したと伝えています。
「彼女の妊娠が発覚したのは、2011年頃。相手は、所属事務所エイベックスのナンバー2である千葉龍平副社長です。千葉といえば、業界では強面として知られる人物。彼女は彼に生活の面倒を見てもらっていました」
これを機にふたりは別れ、中村ゆりには手切れ金が支払われたと伝えています。
その後、千葉副社長はエイベックスから別会社に移籍になり、先のサパークラブのママもエイベックスとの関係を清算するために自殺したとも伝えています。
「芸能界デビュー当時から彼女を支えていたのが、六本木のサパークラブ『A』のママ。この店は、大王製紙元会長の井川意高も常連だった店で、彼女はそのママから可愛がられていた。しかし、中村が隠し子出産後、自殺してしまった。一切の過去と清算したいという気持ちが芽生え、千葉やエイベックスに別れを告げたのでしょう」
こんな過去を「実話ブラックザ・タブー」が報じていることから、この不倫や隠し子騒動が原因で中村ゆりは結婚しないのだと噂されているようです。
中村ゆりの旦那は林遣都ではない
2003年から女優としてデビューした中村ゆりは女優業に集中していきます。
主演こそそんなに多くはないもののバイプレーヤーとして印象に残るドラマに欠かせない役を演じてきました。
そんな中村ゆりにも新しい相手との出会いが待っていました。
2010年に公開された映画「パレード」で共演することになった林遣都でした。
林遣都は1990年生まれで中村ゆりの方が9歳年上ですが、すぐに気が合って演技についても率直に語り合える仲になっていきました。
2014年には交際報道もされていますね。
下は、中村ゆりと林遣都の写真ですが、美男・美女ですね。
ふたりの気があった理由には次のような共通点があったからかもしれないですね。
- 中村ゆりは大阪出身で林遣都は滋賀県大津市出身でどちらも関西人
- 中村ゆりは元はミュージシャンで林遣都も中3でバンドを組み高校では軽音楽部に所属
どちらも音楽という共通の趣味があったわけです。
いずれにしても、ふたりの仲の良さは街中でも見かけられ、下の写真のように一緒にいるところを目撃されていました。
ふたりと関係の近い人たちもすぐに結婚すると感じていたようですね。
ところが、2019年になって林遣都とAKBの島崎遥香が交際していることがわかり、中村ゆりと林遣都は破局していたのでは伝えられています。
ですから、中村ゆりは現在も独身であり、林遣都が旦那さんであるという噂は事実ではないようです。
まとめ
- 中村ゆりはインタビューで在日韓国人であることを公表
- レコード会社副社長と不倫関係になり子供妊娠したとゴシップ誌に報じられている
- 中村ゆりと林遣都は結婚間近と言われていたが破局していた
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