仲野太賀の学歴|高校はどこ?日出高校?阿佐ヶ谷出身で部活は?

中野英雄を父に持つ俳優の仲野太賀ですが、幼少期は東京都阿佐ヶ谷で育ち、その後日出高校(現在は目黒日本大学高校)に進学しています。

そんな仲野太賀ですが、高校時代は部活などはやっていたのでしょうか。

また、高校と卒業後大学に進学しているのか学歴も気になる所です。

この記事では、仲野太賀の高校時代についてを中心に、地元阿佐ヶ谷での思い出を合わせてご紹介します。

仲野太賀の学歴|高校はどこ?日出高校?

仲野太賀の学歴はどのようなものだったのでしょうか。

今でこそ知名度を上げてドラマや映画に引っ張りだこになっている仲野太賀ですが、仲野太賀は高校時代はどのような少年だったのでしょうか。

親も俳優ですので、数々の葛藤もあったと思います。

また、大学に進学しているのか最終学歴も気になるところです。

現在はカメラマンとしても知名度を上げている仲野太賀の高校時代についてご紹介します。

仲野太賀は日出高校(目黒日本大学高校)出身

仲野太賀の出身高校は日出高校です。

2019年に学校名が変わり、現在は目黒日本大学高校になっています。

仲野太賀が通っていた日出高校は多くの芸能人が通っていたとされる高校です。

仲野太賀は中学生の頃からすでに芸能事務所に入っており、芸能活動を始めていたので日出高校では芸能コースを選択しています。

芸能コースを選択すれば、もっと芸能の幅が広がると考えたのかもしれません。

仲野太賀の高校時代は、まさに学業と芸能活動の両立という状態でした。

学校での生活の傍ら、芸能活動もしなければなりませんのでかなり大変だったのではないのかと思います。

同級生には、染谷将太が同じ高校で、高校時代から仲が良かった俳優が菅田将暉でした。

染谷将太も菅田将暉も、仲野太賀よりも早くに売れていったため、高校時代は非常に嫉妬していたとインタビューで語っています。

太賀:高校時代はジェラシーがありました。途中からあまりしゃべってないんじゃないかな、僕がジェラりすぎて。若かったし、悔しかったです。でも、お互いの存在を意識していたからこそ高め合えた関係だったように思います。(菅田)将暉も同じような存在ですね。

菅田将暉のラジオに出演した際には、仲野太賀が菅田将暉本人に向かって、『共喰い』という作品のオーディションで一番最初に嫉妬したと言っていました。

「『共喰い』のオーディションで、俺は芝居さえ見てもらえなかったのに(菅田)将暉は見てもらえて、あっという間に主役ですよ。(中略)一番最初のジェラシーだわ、お前に対して(笑)」

しかし、現在では仲野太賀も売れっ子となり、今では皆で一緒に作品を作ったり楽しいことがしたいと語るなど、嫉妬心はないそうです。

今はジェラシーとかはまるでなくて、こんだけいい俳優が周りにいるなら一緒に作品を作ったり、楽しいことしたいねってみんなで話してます。

仲野太賀は高校時代部活はせず映画制作に没頭

学生生活の中で楽しみなものといえば、部活です。

友達と同じ部活に入る人もいれば、将来のために部活を選択する人もいます。

ですが、仲野太賀は高校時代は部活に入りませんでした。

高校1年の時には、那須少年記で主演を演じるなど、高校時代から様々な作品に出演しており、部活などの学生生活より仕事が中心の生活だったようです。

また、高校時代には仲野太賀と同級生だった染谷将太と一緒に映画制作をして楽しんでいたそうです。

同じく部活動について聞かれた太賀は「部活には入っていなかったんですが、同級生と映画を撮っていました。その相方が染谷くんでした」と返答。「脚本を一緒に書いたり、カメラ回したりしてました」と振り返り、同級生役で染谷と共演したことについて「不思議な感覚でした」と思いを明かす。

仲野太賀はカメラマンとしての一面がありますが、高校時代のこういった活動の影響かもしれませんね。

染谷将太に関しては、そのまま自分で監督を務めるなど映像制作の道に進んでいます。

仲野太賀は阿佐ヶ谷出身で中学時代に芸能デビュー

仲野太賀の生まれ育った場所ですが、東京都杉並区の阿佐々谷です。

都心から遠く離れていないことと、阿佐々谷は結構なんでも揃っているから便利だと話しています。

杉並区の阿佐ヶ谷で生まれ育ちました。都心からも近くてなんでも揃っていて、僕にとってとても居心地がいい街です。

阿佐ヶ谷には商店街がいくつもあるのですが、個人商店に活気があったスターロード商店街が思い出深い場所なのだそうです。

両親が共働きだったため、色んな人に囲まれながら育ちました。

自分の生まれ故郷だからかもしれませんが、仲野太賀にとっては思い入れの強い場所のようです。

仲野太賀は阿佐ヶ谷以外では吉祥寺や高円寺に行っていた

小学生の頃から冒険心が強く、一人で吉祥寺に行っていたそうです。

小学生の後半から中学生にかけては、阿佐ヶ谷から少し足を延ばすことも増えました。
小5の時にはじめて一人で映画を観に行ったのは吉祥寺で、中学生になると古着に目覚めて高円寺に入り浸ったり……。

吉祥寺も阿佐々谷と同じく、オシャレな街並みなので冒険したくなる気持ちもわかります。

ちなみに初デートも吉祥寺だったそうです。

そうそう、人生初デートは吉祥寺でした(笑)。自分の街から一番近い「都会」という感じだったんですよね。

学生時代の仲野太賀は、阿佐々谷・吉祥寺・高円寺あたりがよく行く遊び場だったみたいですね。

中学時代にはバンドを始めるも長続きせず

中学時代、特に部活は行っていませんでした。

部活には所属していませんでしたが、バンドを組んでいたそうです。

部活動ではないからか、そのバンドもせっかく組んだのに解散を繰り返しており、長続きしない状態でした。

太賀:中学生の頃、結成しては解散してました。バンド名がやばくて…最初は「モスキートノイズ」。

本人も話しているように、中学時代のバンド名がなかなか中二病な感じでした。

  • モスキートノイズ
  • ヌードトランプ
  • ゴールドアンダーヘアーズ
  • 森羅万象

ド下ネタですね。(笑)

仲野太賀は中学2年生の時に芸能事務所に入ります。

仲野太賀の父である中野英雄は自分とは別で考えてほしいという願いもあり仲野太賀の芸名を太賀に決めました。

親の七光りだとか、親がいたから俳優になれたと思われたくなかったのかもしれません。

それからしばらく親子であることを隠して活動を進めてきました。

仲野太賀は中学2年生にして地上波のドラマや大河ドラマにも出演しました。

仲野太賀は大学には進学せず芸能活動を本格化

高校を卒業してからは大学に進むことはありませんでした。

そのまま俳優の道に進み、芸能活動一本で本格的に動いていきます。

学生時代でもすでに数々のドラマや映画に出演していましたが、学業を卒業してからさらに注目を浴びるようになります。

しかし、18歳の頃の仲野太賀は、ちょい役が多くいまいちブレイクしている状態にならなかったことにかなり悩んでいたそうです。

仲野太賀自身は、映画俳優というものに固執しすぎていたからと語っています。

僕はこの仕事を始めた当初から、映画俳優というものにものすごく憧れを抱いていました。自分が好きな俳優さんもそう呼ばれている方が多かったし、その想いがあったがゆえに、見向きもされない時間がとても苦しかったですね。いまは、志が高かったからだと受け止められるのですが、10代の頃はとにかく悔しくてしょうがなかったです。

仲野太賀の俳優としての価値観を変えたのは、映画監督で演出家の岩松了との出会いです。

岩松了は、劇作家・演出家・俳優・映画監督とマルチに活動しており、そんな姿に影響を受け、映画俳優にこだわることをやめたと言います。

ドラマや演劇含めて、媒体にこだわらずに様々な方とお仕事をさせていただくように変わっていきました。

その後、テレビドラマやバラエティへの露出も増えていき、2016年に放送された『ゆとりですがなにか』での演技が仲野太賀が注目されるきっかけとなりました。

癖のあるキャラクターですが、それが演技とは思えないほど自然に演じられていたため高評価されました。

そこからというもの、仲野太賀はドラマや映画に引っ張りだこになります。

コミカルな役の印象が強い人も多いかと思いますが、コミカルな役だけにとどまりません。

シリアスな役や恋人を思い続ける青年役まで演じています。

ドラマ『この恋あたためますか』ではまさに主人公のことを一途に思い続ける青年の役を演じていました。

そのドラマや映画によって変幻自在に演じる仲野太賀にはまる人もいるのではないでしょうか。

父が俳優ということで二世俳優と言われますが、少なくとも仲野太賀は親の力を借りていないと思います。

学生時代から俳優になるために様々なことに取り組んでいて培われたものが形になっただけではないでしょうか。

若手俳優の一人として着実に人気を集めている俳優です。

まとめ

  • 仲野太賀は日出高校出身
  • 大学には行かずに俳優業に専念
  • 仲野太賀の地元は阿佐ヶ谷

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