【画像】岡田健史が創成館高校野球部時代に甲子園出場?

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人気沸騰中で俳優として注目度が高い岡田健史(おかだけんし)高校時代は名門高校野球部に所属して、甲子園を目指していたというウワサもありますね。

今回は、岡田健史がどこの高校で野球をしていたのかを含めて、野球選手時代の画像やどんなきっかけで役者を目指すようになったのかをお伝えいたします。

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岡田健史は何度も甲子園に出てる創成館高校野球部出身

2018年10月からTBS系列で放送された話題のドラマ「中学聖日記」の黒岩晶役でデビューした岡田健史(おかだけんし)。

端正なルックスとピュアーな人となりでたちまち人気を博し、その後、数々のドラマに出演し活躍中の岡田健史ですが、高校では強豪野球部で甲子園を目指していたことも話題になっています。

まずは、岡田健史のプロフィールから見ていきましょう。

本名:水上恒司(みずかみこうし)
生年月日:1999年5月12日
出身地:福岡県
血液型:O型
身長:180cm
好きな食べ物:ラーメン、肉
趣味:筋トレ・映画鑑賞・絵を描くこと・写真を撮ること・映画鑑賞
特技:野球
学歴:2015年4月 創成館高校(長崎県)入学
2018年3月 同校卒業
職業:俳優
所属事務所:スパイスパワー(spice power)

出身が福岡県なのに、どうして岡田健史は長崎県の高校に行ったのだろう?と疑問を抱く方もいらっしゃるかと思いますが、岡田健史は野球の実力を認められて、野球に力を入れていた創成館(そうせいかん)高校に野球推薦で入学したのです。

ですから、高校入学の前から野球部に所属して勝ち抜いて学校に名誉をもたらすことを課せられていたわけです。

ポジションはキャッチャーですから、バッターの様子を見てピッチャーをリードして、盗塁をさせないような強肩だったのかもしれませんね。

親元から離れて寮生活をして野球とともに学業を両立させる高校生活をおくっていたわけです。

岡田健史が入学し、野球部に入部した年、2015年の夏の県大会では、創成館高校は決勝戦では伝統的に長崎の超強豪校、海星(かいせい)高校を破り甲子園初出場を果たしました。

甲子園の1回戦では、甲子園でおなじみの奈良の天理(てんり)高校にも勝利しました。

岡田健史の母校、創成館高校は野球の他にも吹奏楽部や演劇部も全国的に有名で、スポーツ系の部活動だけでなく、文化系の部活も盛んな高校であると言えるかもしれませんね。

岡田健史は小学校2年生から野球を始める

野球推薦で高校に入学できるとは、スゴイことですよね。

岡田健史がどのように野球の実力をつけていったのかをご紹介しましょう。

岡田健史が野球を始めたのは、小学校2年の4月から。

その前から岡田健史は父親に何度も野球をやりたいと訴えていたようですが、まだ年齢的に早いのではと言われていたらしいですね。

そう言いながら、岡田健史の父親は息子の野球に対する真剣度を推し量っていたようです。

野球をすることへの岡田健史の覚悟を確認できた父親は快く岡田健史が野球を始めることを承諾しました。

岡田健史が所属することを希望したのが、地元福岡の名門チーム、「ヤング福岡ライナーズ」で、小学校2年生から中学生までを対象とする野球チームで、最初は軟球ボールを使って練習するものの徐々に硬式ボールを使ってプレーする本格的な野球チームでした。

一般的には小学生や中学生のクラブ活動レベルでは今でも軟式ボールを使うチームが多い中、岡田健史は早い時点で硬式ボールの特性を理解した上で野球にのめりこんでいきました。

野球をはじめたことで岡田健史の生活は変わっていきました。

岡田健史、こんなことも語っています。

家族揃っての旅行には行けなくなってしまった。学校の授業以外の時間はすべて野球に費やされるようになったせいだ。

また、岡田健史は、自分の野球人生を振り返って次のようにも語っています。

自分には野球の才能はなかったと思う。
才能がない分、練習はしていました。
周りの誰よりもやっていたと思います。
小学生の時は、自分が将来プロ野球選手になることを信じて疑わなかった。

プロ野球選手になることを目指していたのが、岡田健史の少年時代だったのです。

高校野球部時代の画像と甲子園について

プロ野球選手になるチケットを手にするには、やはり甲子園に出場し認められることが一番の近道でしょう。

岡田健史は、見事に野球推薦で甲子園を目指す創成館高校へ入学すると、小学校、中学校時代と同様に野球漬けの毎日を過ごすことになったのです。

高校時代の生活を振り返って岡田健史は次のように語っています。

高校野球は毎日です。休みはなかったです。休みはお盆と年末年始にまとめてあるくらいで、それ以外は雨が降っても雪が降っても絶対に練習をやってま
した。

それでは、岡田健史の高校野球部時代の写真をいくつかご紹介しましょう。

ゴロのボールを捕球してファーストに投げる練習でしょうか?

ボールの握りや投げるフォームが決まっていますね。

真剣に野球に取り組む姿が伝わってくる1枚ですね。


横顔も凛々しい岡田健史。円陣を組んで監督の話を聞いているのでしょうか?

それとも休憩中のところでしょうか?

にこやかな表情を浮かべる岡田健史。

練習の合間には、チームメートとリラックスして談笑することもあったのでしょう。

こちらもリラックスした表情の岡田健史。

好きな色は、黒だと過去のインタビューで答えていますが、黒色のプロテクターやヘルメット、キャッチャーミットがきまっていますね。

緊張感の漂う1枚ですね。

試合の勝敗のカギになる状況なのかもしれませんね。

では、実際の野球部での岡田健史と創成館高校の活躍はどうだったのでしょうか?

岡田健史が創成館高校に入学した最初の年、2015年の夏の大会では先輩の3年生を中心とした創成館高校野球部は、見事に甲子園に出場できたものの、その後、岡田健史はチームの定着したレギュラーの座も獲得できないまま3年生の夏を迎えました。

そして県大会の結果、創成館高校は準々決勝、ベスト8には進めたものの敗退し、甲子園出場の夢は叶わなかったのです。

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岡田健史は高校野球部卒業後に演劇部入部?

甲子園を目指して野球に専念してきた岡田健史、3年生の夏が終わったとき、どんな風に感じていたのでしょうか?

後に岡田健史は次のように答えています。

僕はその時野球が終わって、自分は特待生として高校に入って、自分たちの代で甲子園に行く、野球で結果を残すことが高校への恩返しだと思ってたんですけど、甲子園に行けなかった。そんな負い目を感じていた。

しかし、そんな岡田健史には次のチャンスが待っていました。

創成館高校の演劇部の顧問が次の県大会出場の演目で、なかなかピッタリしたキャストが見つからないと校長先生に相談したところ、校長先生から岡田健史の名前があがったのです。

そして演劇部の顧問から声をかけられた岡田健史は次のように思ったそうです。

高校野球を夏で引退した後に、その高校の演劇部の顧問の先生から助っ人として出てくれないかっていう話があったんです。
甲子園には行けなかった。そんな負い目を感じているときに、このお話があったので、少しでも役に立てればと引き受けたんです。

そして、10月に開かれた演劇部員として出場した県大会で、創成館高校は優勝。

下の写真の左側は、岡田健史が演劇部員として参加したときのものです。

大会では、審査員からも名前をあげて岡田健史は演技に高い評価を受けたのです。

後に岡田健史は語っています。

その県大会で感じたことや、演じる快感を知ったことが、役者を目指すようになったきっかけです。それが転機になりました。

実は、岡田健史、野球に専念していた中学生のときにも何度かタレントにならないかとスカウトに誘われていたのです。

次のように振り返っています。

最初のことはよく覚えています。中1の冬で、給食袋の袋を振り回しながら帰っているときに呼び止められて。
次の日も同じところにいて、今度は2人に増えてる!恐怖を感じて道の反対側を歩こうとしたら、こういう者ですって、改めてスカウトされました。

演劇部での演技が評価され役者を目指したい思いを母親に伝えたところ強く反対されたようですが、役者を目指すことを決意したのです。

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まとめ

  • 岡田健史は創成館高校で甲子園を目指していた
  • 野球部を引退した後、演劇部に入り県大会で優勝
  • 審査員からの高評価もきっかけとなり役者の世界へ

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